終わりの始まり
今朝、晴れた空に長ーーーーーい雲が出ていました。写真だと伝わりづらいけど、南から北の方にズバっと横切っていた。お見事!
でも、こんな妙なものを見ると、なんだかざわざわと不安な気持ちがしてきませんか。
そんな時に浮かんでくるのが『終わりの始まり』っていう言葉。
初めて見たのは、コミック『ハチミツとクローバー』の中。かなり終章の方でタイトルに使われていました。はぐちゃんが手にケガをする章。
言葉の持つ不安な響きになんだかドキドキして、頭に焼き付いてしまった。
コロナの件で世の中大変と言われますが、その気になってよく見てみれば、『大変』は今に始まったことではありません。
いつから、なんで大変なのか?
どこに向かっているのか?
そもそも自分はなんのためにここにいるのか?
誰でも考えていそうだけど、意外とそうでもないらしい。考えない方が生きやすい?本当?
そろそろ考えないと、みんながヤバくなる時期に来た…。そんな気がしてなりません。
『ウォーターシップダウンのうさぎたち』という本
この世は一見平和に見えるけど、視点を変えるだけですごく危険な世界でもある。
でも、危険なんか『思考停止』してスルーしとけばいいんじゃね?という風潮。
深刻なニュースの後で『それではスポーツですっ♪』と聞くたびに感じる違和感。
そんな中、ふっと思い出すのがこの本。
たまに読み返したくなる本なんですが、最近は忙しくて読んでなかったなぁ。
作者のリチャード・アダムスは、1920年にイギリスに生まれ、オックスフォード大学で歴史を学び、第2次世界大戦に従軍、その後は役人になったそうです。
歴史を学んで、戦争に行って、お役人になった。なるほど、その中で『別の視点』…つまり、物事の本質に気付いたということかな。
『ウォーターシップダウンのうさぎたち』は、1972年に出版された児童文学です。(もう50年近くも前ですね!)出版後に大きな話題になり、たくさんの大人にも読まれるベストセラーになりました。
人気の理由は、冒険モノとしての面白さだと言う人もいますが、私が感じているのはそこじゃないんだな。
特に気になったエピソード、その1。
それは冒頭の話。平穏なうさぎの村から、主人公たちが脱出するくだりです。
安全で平和な生活を、ある日突然捨てられますか?というお話。
『バカなこと言ってんじゃないよ』と残ったものは、残酷な目にあって全滅する。
児童文学だからって、いきなり容赦のない展開。
甘いだけの話は好かん、変な子供だった私。もうのっけから『つかみはOK!』でした。
特に気になったエピソード、その2。
旅立ったうさぎたちが最初にたどり着いた村。
『わなの村』です。ここの物語が強烈でした。
敵の作った家に家賃を払って住む…という愚かな選択の結果、2重3重の欺瞞の中で生きることになったうさぎたちの物語。
『家賃』とは自分を含む、仲間たちの生命です。
主人公たちも、危うく欺瞞の霧に取り込まれそうになります。恐ろしい話でした。
誰だって安心して生きていきたいだけなんだけど、それがある状況下で『悪意』に変質する。
受けた暴力は、振るった相手ではなく、別な者へ転換される。
それは『終わりの始まり』という響きが持つ不気味さに通じる気がします。
これはファンタジーと呼ぶだけでいいのでしょうか?
これはそのまま人間の話であり、しかも非常に身近なことなのではないでしょうか。
何がそうなのかは、言語化できません。そんなもどかしさも、物語中でとてもうまく表現されてます。スゴイ。
全編おもしろかった。
後半は、とある『軍国主義っぽい、怖いウサギの集団』との戦いに突入していきます。
ウーンドウォート将軍、こええ〜〜〜!!これ、本当にうさぎ?!
冒険活劇という感じで、スピード感があって、止まらなくなります。
死生観も確立されてるし、なんとなく、戦争を知っている作者だからこそのリアリティなのかも。
これから本格的に秋に向かいます。読んだことのない方、読書の秋にいかが?
(リンク貼れなくてメンゴ)
うさぎと聞いたら猟犬は…!?
キアちゃんは当然こうなりますね。
…いないよ。
だからいないってば。
コメント
Thank you!!1